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80年代後半・・・・
鈴鹿でのフォーミュラ1グランプリが定着し、「ホンダ・パワー」が吹き荒れた頃。
二人のエース、そう、マクラーレンホンダに乗り込んだセナとプロストである。
88年、89年と同じチームで戦ったジョイント・ナンバー1体制。最初は兄弟のように仲の良かった二人が露骨にいがみ合うようになったのは89年のサンマリノ以降。「あいつは約束を破った」とか、「あっちにいいエンジンを回している」とか、サーキットの外では汚いインタビュー合戦(主にプロストが主だったが)が繰り広げられた。
そして、運命の鈴鹿、シケインで2台のマクラーレンはタイトル争いの末、シケインで接触しもつれこんでしまうのだ。結果、タイトルはプロストのものとなったが更に翌、90年以降も好敵手同士の戦いは続く。マンセル、パトレーゼ、ブーツェン、ピケ・・・ベルガーら役者たちも揃っていて、華を添えていた。今とは違う楽しみがF1に存在した、エキサイティングな時代。

画像はその鈴鹿、問題の接触直後、セナはこのあと鬼神の走りでトップでゴールインするも
失格裁定となり、優勝はアレッサンドロ・ナニーニの手に。
# by loversoul_4 | 2004-11-07 17:53
とある上野公園の・・・・
片隅と言うより、動物園の横といった方が分かりやすいかもしれない。
江戸幕府の草創期、磐石の徳川政権を更に堅固なものとするため、参勤交代、武家諸法度
各大名の改易や、取り潰しなど信長、秀吉と「破壊」、「創造」の繰り返しを見てきた家康は
「継続」を第一に様々な手を打った。

が、その一方、その遺志を引き継いだ秀忠が江戸の街づくり、治水等の整備にあたって来たことは意外と知られていない。上野の山の当時、世渡り上手の大名、藤堂高虎の屋敷用地に建立された東照宮もそのひとつ。2代に仕えた側近の天海僧正の「東における叡山」・・・
家康=東照大権現(西には天皇、東は自分が照らすといった意味があるともいわれる)
日光に菩提寺を建設するだけでなく、江戸の要所、鬼門とされる位置に寺院を建立した。
今でも、藤堂高虎の寄進したお化け燈籠(本当に灯篭としてはデカイ)など当時の面影を残し、ひっそりと佇んでいる。

~(画像は鎖匠工房さまより拝借いたしました)~
# by loversoul_4 | 2004-11-07 15:55
86年、最終戦オーストラリア
ホンダ勢がタイトル奪取が確実と思われていたこのレース。当時のタイヤはほぼ100%がグッドイヤーを装着していた。プロストのチームメイトのk・ロズベルグはプロストのチャンピオン獲得に向けてあらゆる協力を惜しまないと広言していた。
ピケとマンセルのウイリアムズ・ホンダはどちらもタイトル獲得まであと数ポイント、両者の間は険悪でおよそ協調など、お互いに期待できなかった。
タイヤの消耗が進み始めた中盤、ロズベルグがタイヤ・トラブルでリタイヤ、グッドイヤーが
考えていたより磨耗が早かったのだ。慌てたマクラーレンはチームメイトのプロストのタイヤ交換の必要性を危機感をもってすぐ、ピットに入るよう指示を出す。が、このときプロストはピケや、マンセルに数秒差まで迫っていた。渋々、ピットに入ったプロストは「これでタイトルは逃げた!」と残念がっただろう。しかし、そのあと、タイトルをほぼ手中に入れていたマンセルもピケもタイヤが持たずレースを落としてしまうのだ。ピケはかろうじてゴールインしたが、マンセルは御大本田宗一郎の目の前でタイヤ・バーストでリタイヤしてしまう。結果、プロストに棚ボタ同然にして、タイトルが転がり込む。もし、引退を表明したロズベルグがタイヤ・トラブルに見舞われなかったら・・と思うとレースの無情さ、面白さが見えて興味深い。
86年最終戦、このときはリアル中継など無かったが、「名勝負」として人々に語り継がれる一戦である。
# by loversoul_4 | 2004-09-17 15:08
"side way"と呼ばれた男・・・・・ロニ-・ピーターソン
73年の活躍からしばらくロータスは低迷を続ける。名車「72」に続くマシン開発に失敗して
時代遅れとなった72をリメイクしながら使わざるを得なかったからだ。
そして77年、奇抜なアイデアの78が「ウイング・カー」の先鞭をつけるように世に出る。

ピーターソンはマーチ、ティレルと渡り歩くが思うような実績を残せず、古巣ロータスに舞い戻る。しかし、エース・ドライバーはマリオ・アンドレッティだった。ロータスの総帥チャップマンが
ロニ-に課した条件とは決してアンドレッティを抜かないこと・・だった。
約束どおりロニーは、№1を立て、常に2位に甘んじる。時折、アンドレッティがリタイアした時のみ、トップでゴールインそして迎えた78年,モンツア。79からスペアの78に乗り換えたロニーはスタート直後のクラッシュで帰らぬ人となってしまう。・・・・・・死後にチャンピオンに輝いたヨッヘン・リントと比べれば、実力を持ちながらナンバー2のままの死はあまりにも悲しい。
ロニーに続く、スェ-デンの雄、グンナー・ニルソンもしばらくして癌で他界。スェ-デン国王?が国民がそんなに悲しむのなら・・とF1開催を止めてしまったのはあまりにも有名である。
# by loversoul_4 | 2004-09-15 16:10
新撰組がどうというわけではないけれど、
2000年に放映されていたNHK大河ドラマ「葵・徳川三代」はよかった。
タイトルバックに流れる四季山々、東照宮などBGMと相まって幻想的な、そしてリアルな歴史絵巻を見せてくれた。キャスティングも素晴らしく、家康役の津川雅彦、秀忠役の西田敏行、・・・・・最近のキッズらいくな配役でなく,それぞれが関が原から江戸の初期にかけての歴史的な役回りを重厚にこなしていた。歴史にうとい人でもこれなら徳川の成り立ちも自ずと分かろうというものだ。ジェームス三木の原作をただ今愛読中である。
# by loversoul_4 | 2004-09-12 14:39
今朝,信号待ちで・・・
ホンダのホークⅡを見た。20年以上も前のバイクなのに、あまり汚くなかった。音は昔のままボコ,ボコ言ってた。ヨンフォアのあと、満を持して世に出たがどう見ても駄作にしか見えないのは、ヨンフォアがあまりにも完成されたヨーロピアン・カフェだったから。
同じ,ツインエンジンで外見を変えたホークⅢ、スーパーホークⅢと進化するのだが・・・・。

CBXまでお家芸のマルチ4気筒は待たなければならない。そして、数年後16インチホイール
角型ライト、revを搭載した名車CBRがデビューする。モーターショーで(まだ、晴海でやってた頃ね)一発で気に入り、中央区に3台しか入ってきていない・・といわれた1号車を予約した。ヨシムラ・サイクロン、後輪のみピレリ・ファントムをいれて乗っていた。ホンダ、スズキ,ヤマハ、カワサキといろんなバイクを乗り継いだが、最も乗りやすかった。
(写真は,マイナーチェンジ後のモデル)
# by loversoul_4 | 2004-09-11 13:12
なんつったって、ビートルズ!!
中学2年くらいから聴き始めた。カセットが普及し始めた頃でダビングなんて今のように簡単じゃなく、ラジオやステレオのまえにラジカセ?を置いて雑音入らないようにシーンと・・これがまた,大変だった。初めて買ったLPは「ヘルプ!」だった。
ビートルズ大会と称して「ヤア!ヤア!ヤア!」、「ヘルプ!」、「レット・イット・ビー」の3本立て上映には学校を抜け出して必ず行ってた。ソロになってからヒット・メーカーは断然ポール。「ジェット」、「マイ・ラヴ」、「バンド・オン・ザ・ラン」・・・ジョンの「イマジン」、「マインド・ゲームス」、「スタンド・バイ・ミー」ジョージも,リンゴも出してたな、それなりに。
でも聴きつづけて味わい深いのは「アビィ・ロード」・・・・・「アンソロジー3」で未発表テイクを聴いて改めてはまってる。
# by loversoul_4 | 2004-09-10 13:54
一番好きな映画のはなし・・・・
何と言ったって「ゴッド・ファーザー」&「パート2」ですね。「3」は付けたしみたいなもんだから
あまり好きじゃない。最近、DVDのボックス手に入れたけど念願かなったりで、しょっちゅう
観てる。撮影当初、マイケル役にはアル・パシーノでなくR・オニール、R・レッドフォードの名前が挙がっていて、すぐ降板させられるようなキャスティングだったとか、イタリアン・レストランでソロッツオ、マクラスキー警部をトイレに隠し持っていた拳銃で射殺されるシーンで、周囲に認められたんだとか・・・「なるほど・・」と頷かせる撮影エピソードや裏話が沢山収められている。この6月にリバイバル上映があったので当然、出かけたが平日なのにほぼ満席、サウンドもよくやはり細かい所がよく出来ていると改めて感心させられた。
# by loversoul_4 | 2004-09-09 22:06
今のカウルにくるまれたマシンとは違って・・
太いタイヤ、聳え立つインダクション・ポッド、サイドラジエーター・・・
オート・スポーツ位しか情報の入手源は無かったがグラビアをみても充分に野性的で
魅力があった。市販車ではサバンナRX-3、ダルマ、リフトバックのセリカ、カリーナ、サニーなんかがどう改造を施すか?がクルマ好きの連中の論議を呼んでいた。
# by loversoul_4 | 2004-09-09 14:28
高校2年生の頃、fiscoで初めてF1がやってきた・・・・
当時は大半のチームがフォードDFV、V8だった。もちろん、現在のようにリアルタイムでの
レース中継など無かった。「ワン・バイ・ワン邦題=エフワングランプリ・栄光の男たち」が公開されたのはそのデモンストレーションも兼ねての事だったろう。

くさび型(ウェッジ・シェイプ)のロータス72、丸くてドテっとしたスポーツカー・ノーズのティレル006(タイレルと呼ばれたが)には、フィッティパルディ、ピーターソンのコンビ、スチュワート、セベールの師弟コンビががっぷり4つに組んで死闘を展開した。・・・・
クラッシュ・シーンの連続や初めてのモナコのオンボード映像などドキドキしながら映画館に足を運んだものだった。
# by loversoul_4 | 2004-09-07 20:33
「’70年代にはこんなカタチデシタ・・・・・」
慈愛の輝き (CCCD)
ジョージ・ハリスン / 東芝EMI
ISBN : B0001BUF0S
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B面に「ファースター」という、ご機嫌なエフワン・サウンドを入れたF1ドライバーを唄った曲が入っていた。ライナーノーツには

かのJ・スチュワートも一緒にサーキットを歩く姿があった。
# by loversoul_4 | 2004-09-07 19:35
金沢の景色といえば、一般的に知られている


雪の兼六園、家はすぐ傍だったけど
雪の日に行ったことは無かった・・・・雪すかし、大変だったから。


# by loversoul_4 | 2004-09-06 00:19
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